千代大海は中学時代ヤンキーで母のために角界入り!現在は?
ワイの推し力士は
テラチヨスでお馴染み
千代大海龍二さんや!小中が一緒で
小学校の時は同じ野球部だった久しぶりに会いたいわ pic.twitter.com/dz7AhAopxq
— ギャンブル依存からの脱出【サブ】 (@r0B2OfvNKQ19334) January 26, 2025
大分市さぁ、千代大海の銅像立ててくれよぉ。。
嘉風は佐伯市だからまだアレだけど。今日市内をウロついて、瀧廉太郎終焉の地を偶然撮ってきた。 pic.twitter.com/ChJwxDZwIQ
— 残念それは私のおいなりさんだ (@ita_kon_nyaku) December 14, 2024
「大分の龍二」の異名で恐れられた九州最強のヤンキーが、母の願いを叶えるため、角界に飛び込んだ。
彼は、元横綱・千代の富士の九重部屋に入門し、千代大海と名乗る力士となった。
持ち前の負けん気と天性の格闘センスで番付を駆け上がり、大関にまで昇進した。
今回は、そんな千代大海の波乱万丈な人生を振り返り、その魅力に迫る。
1. 荒くれ者だった少年時代

「不良少年としてのエピソードが、今の彼の強さにつながっているんだろうね。」

「確かに。激しい喧嘩や暴走族時代の経験が、逆に人情深い一面を育んだのかもしれないわ。」
千代大海こと須藤龍二は、1976年4月29日、北海道千歳市に生まれた。
しかし、幼少の頃に大分県大分市に移り住み、そこで育ったため、大分を故郷と考えている。
オリンピック候補にもなった柔道家の父を持ち、3歳から柔道の英才教育を受けた。
父方の祖父は台湾人で、後に台湾公演時に話題となり人気を博した。
5歳で父を亡くし、サッカーや野球を経て、小学校5年生から柔道を再開。
中学時代には柔道で九州大会優勝、極真空手の九州大会でも3位入賞を果たすなど、優れた格闘センスを発揮した。
しかし、地元では「大分の龍二」として知られるほどの不良少年でもあった。
警察に厄介になることも多かったが、目上には礼儀正しく、弱い者いじめはしなかった。
この頃の経験が、後の相撲人生に大きな影響を与えたと考えられる。
強烈な個性と負けん気は、不良時代の喧嘩で培われたものだろう。
後に「ツッパリ大関」として名を馳せる千代大海の片鱗は、すでにこの頃から見られていた。
「元千代大海の九重親方を有名タニマチが実名告発「一緒に闇カジノに通ったし、私が主催していた高レート麻雀の常連メンバーだった」(デイリー新潮)」
2. 母の願いと角界入り

「母の願いで角界入りを決意するなんて、心が温かいね。」

「本当に。母のために全力を尽くす姿勢が、今も尊敬される理由よね。」
中学卒業後、千代大海は鳶職として働いていた。
当時、SPになる夢もあったが、女手一つで育てた母親から「力士になってほしい」と懇願され、親孝行のため角界入りを決意。
母親の強い言葉に背中を押され、元横綱・千代の富士率いる九重部屋に入門。
母親が考案した「千代大海」の四股名を与えられ、新たな人生がスタートした。
3. 現役時代の活躍と印象的な取組

「現役時代の激しい取組、迫力満点だったよね。」

「あの熱戦は今もファンの記憶に鮮明。彼の独特な取り口も印象的だわ。」
1992年11月場所に初土俵を踏んだ千代大海は、持ち前の突っ張りで番付を駆け上がる。
入門直後から師匠の指導で磨かれた技は、重くて速く、他の力士には真似できない破壊力を誇った。
初土俵からわずか4年で新入幕を果たし、1999年1月場所には劇的な優勝決定戦を経て初優勝、そして大関昇進を決めた。
千代大海の取り口は、つま先立ちで立つ独特の構えが特徴で、当時は批判もあったが、瞬発力を高め相手を押し出す効果があったと考えられる。
現役時代、彼は「ツッパリ大関」として親しまれ、豪快な取組で多くのファンを魅了した。
特に1998年7月場所9日目の武双山戦は、激しい突っ張り合いの末、顔面への張り手が飛び交う壮絶な展開で、土俵を割る結果となったが、その死闘は今も語り継がれている。
また、1999年1月場所千秋楽の若乃花戦では、決定戦を制して劇的な初優勝を果たし、相撲界の世代交代を象徴する出来事となった。
4. 引退後の活動と現在

引退後も苦難を乗り越え、今は新たな挑戦に挑んでいるんだね。

そうね。病気や怪我を乗り越えて、後進の指導や多方面で活躍する姿は本当に頼もしいわ。
千代大海は、2008年3月場所から糖尿病を患い、病状が悪化する中でも戦い抜いたが、2010年1月場所限りで現役を引退。
引退会見では、「一つ目標を持てば人生が変わる」と涙ながらに語った。
引退後は年寄・佐ノ山を襲名し、九重部屋付きの親方として後進の指導にあたる。
2016年7月、師匠の千代の富士急逝を受け、14代九重を襲名、九重部屋を継承。
現在は、九重親方としてタレント活動や事業にも取り組み、相撲界の発展に貢献している。
さらに、2017年には大分県由布市に千代大海の優勝額などを展示する相撲ミュージアムがオープンした。
「元横綱稀勢の里 二所ノ関親方が徹底解説第19回:千代大海「タブー視された“つま先立ち”」 – 相撲」
5. 千代大海の人物像

豪快な取り口だけでなく、実はとても優しく穏やかな人なんだよね。

そうね。厳しい面もあるけれど、家庭では温かい人柄がにじみ出ているのが魅力だわ。
千代大海は、豪快な取り口とは裏腹に、繊細で優しい一面も持つ人物として知られている。
引退会見では、涙ながらに若者へのメッセージを語り、断髪式でも感情が溢れた。
また、恐妻家であることも明かされ、部屋では厳しく指導する親方も、妻の前では頭が下がるという。
元内閣総理大臣の村山富市とも交流があり、かつての荒くれ者だった少年が、人情味あふれる親方へと成長した背景が感じられる。
不良時代の経験が、彼の精神的な強さと逆境に立ち向かう力を育んだのだろう。
まとめ
千代大海は、不良少年から角界入りし、大関にまで上り詰めた異色の力士である。
豪快な突っ張りと繊細で優しい人柄が、多くのファンを魅了している。
現在は、九重親方として後進の指導にあたり、相撲界の発展に貢献している。
彼の生き様は、「目標を持って努力することの大切さ」と、「どんな過去を持つ人間でも新たな道を切り開ける」という希望を与えてくれる。