武隈親方(豪栄道)の父・母・姉はどんな人?性格は?

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武隈親方(元大関・豪栄道)は、力強い相撲で多くのファンを魅了した存在です。

2016年の秋場所では、15戦全勝優勝という輝かしい成績を残し、記憶に残る活躍を見せました。

そんな武隈親方を支えてきた家族、特に父・母・姉は、一体どんな人たちなのでしょうか?

今回は、武隈親方の家族にスポットを当て、その人物像や性格、豪栄道との関係性について迫ります。

一般男性
家族の支えがあってこそ、武隈親方もここまで戦えたんだろうね。
一般女性
そうね。特に父母の愛情や、姉の存在が大きかったに違いないわ。

「武隈親方(元大関 豪栄道)の「優勝額」・「化粧まわし」の展示」

引用元: 寝屋川市

豪栄道の生い立ち

豪栄道こと澤井豪太郎は、1986年4月6日、大阪府寝屋川市で誕生しました。

生まれたときの体重は4380グラムとかなり大きく、母親の真弓さんが車を運転中、ハンドルにお腹が触れるほどだったそうです。

「豪太郎」という名前には、豪快でたくましい男の子に育ってほしいという願いが込められました。

寝屋川市は大阪市と京都市の中間に位置し、交通も便利で自然も豊かな住みやすい街です。

豪栄道は、明和小学校1年生の頃から相撲を始め、市の相撲大会で優勝するなど、才能の片鱗を見せました。

小学校3年生からは、元十両・古市の実家がある交野市の古市道場に通い始め、相撲に夢中になっていきました。

「大相撲「枚方場所」が来年3月に開催 武隈親方らが表敬訪問 [大阪府]」

引用元: 朝日新聞

寝屋川四中時代は体重が80kgと軽量だったため、なかなか結果が出ず、相撲への情熱が一時薄れる時期もありました。

そんな中、埼玉栄高校相撲部の監督の熱意に触れ、高校進学を決意。中学から高校入学までの半年間で、なんと30kg増量に成功し、高校相撲に臨みました。

高校入学後は、才能が開花し、インターハイや全国大会で活躍。高校横綱、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など、数々のタイトルを獲得し、全日本相撲選手権大会では史上4人目となる3位入賞を果たしました。

豪栄道の家族構成

豪栄道は、父・雅博さん、母・真弓さん、そして姉の4人家族です。

2020年5月に一般女性と結婚し、同年11月に子供が誕生。

新型コロナウイルス感染状況を考慮し、結婚公表は控えられていましたが、現在は奥様と子供と3人で暮らしています。

豪栄道の父・雅博さん

豪栄道の父・雅博さんは、昔気質の漁師です。

幼い頃、豪栄道を漁に連れて行き、海に放り込んで泳ぎを覚えさせたというエピソードが語られています。

小中学生の頃は、豪栄道に漁の手伝いをさせ、その経験が足腰や精神力を養う要因となりました。

一般男性
父親の厳しさと温かさが、彼の精神力を支えたんだろうね。
一般女性
そうね。漁師の経験は、力士にとって大きな財産になっているはず。

豪栄道の母・真弓さん

豪栄道の母・真弓さんは、幼い頃から豪栄道に栄養たっぷりの食事を与え、彼の成長を支えました。

真弓さんは、豪栄道がプロの力士として活躍することを心から喜び、応援し続けています。

大関昇進や初優勝の際も、感無量の思いを語っていました。

一般男性
母親の愛情があったからこそ、今の豪栄道があるんだと思うよ。
一般女性
本当に。母の支えは、どんな厳しい現場でも力になったに違いないわ。

豪栄道の姉

豪栄道の姉に関する情報は、残念ながらあまり明らかになっていません。

豪栄道の性格と家族との関係性

【相撲部屋の朝稽古】武隈部屋編<令和5年三月場所直前>SUMO
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豪栄道は、土俵の上では寡黙でストイックな印象ですが、普段は明るく、よく話す一面もあります。

親方の境川部屋親方は、「あれだけ稽古熱心で、相撲に真摯に向き合っている力士はそういない」と評しています。

勝負事には非常に真剣で、大関取り前は「完全に『体』ですよ。大関とり前のこの時期は、とにかく体を極限まで鍛えなければ」と語っていました。

一方、自ら努力を語ることは少なく、その謙虚さも評価されています。

家族からの厳しくも温かい支えが、豪栄道の相撲人生を支えているのは間違いありません。

「埼玉栄高の2人が入門会見 師匠は先輩、元豪栄道の武隈親方」

引用元: 山陽新聞

豪栄道の相撲人生とエピソード

豪栄道は、高校卒業後、境川部屋に入門し、2005年1月場所で初土俵を踏みました。

順調に出世し、2007年9月場所で新入幕を果たすも、大関昇進までには長い年月を要しました。

関脇を14場所連続で務めるなど、実力はあるものの、昇進のチャンスを逃し続けた記録は、年6場所制以降では史上単独1位という驚異的なものです。

大関昇進後も度重なる怪我に悩まされ、左膝や右手首、右太もも、さらには白鵬戦での左眼窩内壁骨折など、満身創痍の状態でした。

それでも、豪栄道は決して弱音を吐かず、時には肋軟骨骨折にもかかわらず「虫刺されです」と言い張り、テーピングをして土俵に上がるエピソードもあります。

そして、2016年9月場所、4度目のカド番で迎えた場所で、悲願の初優勝を達成。

インタビューでは涙を流しながら、「いろいろな思いがありました。うれし涙です」と語りました。

一方、豪栄道は過去に野球賭博事件に関与し、謹慎処分や書類送検などの挫折も経験しましたが、その後も相撲に真摯に向き合い、大関昇進、初優勝を成し遂げ、最終的には引退後に年寄・武隈を襲名し、後進指導にあたっています。

まとめ

武隈親方(豪栄道)は、厳しいしつけと家族の温かい支えの中で育ちました。

幼少期から相撲に親しみ、高校時代にはアマチュアトップとして活躍、鳴り物入りで角界入りした彼は、スロー昇進や度重なる怪我、さらには野球賭博事件といった苦難を乗り越え、大関、そして初優勝を果たしました。

豪栄道の力強い相撲の裏には、家族の温かい支えがあったことを忘れてはなりません。

引退後も家族の応援を受けながら、親方として後進の指導に尽力しています。