【豪快な塩まき!水戸泉】関脇として活躍、親方、そして病気との闘い

闘魂の土俵 水戸泉 - YouTube
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「水戸泉」――その四股名を聞けば、土俵に豪快に塩をまく姿が目に浮かぶ方も多いのではないでしょうか?
1990年代、強烈な左四つと豪快な塩まきで人気を博した元関脇・水戸泉。

現在は錦戸親方として後進の指導にあたっていますが、近年は病気との闘いも経験されています。

この記事では、水戸泉の力士時代から現在に至るまでの軌跡を辿り、その魅力に迫ります。

一般男性
水戸泉と聞くと、まずあの豪快な塩まきが思い浮かぶよね。
一般女性
そうね。彼のパフォーマンスは、伝統と情熱が感じられるわ。

「【ベテラン記者コラム(693)】日本相撲協会「財団法人設立100周年」と霧島-水戸泉の激闘連続4番」

引用元: サンスポ

水戸泉とは?

基本情報と力士時代の活躍

水戸泉こと小泉政人氏は、1962年9月2日、茨城県水戸市生まれ。

身長194cm、体重192kg(最高200kg)と恵まれた体格を活かし、左四つを得意とする力士でした。

1978年3月場所に高砂部屋から初土俵を踏み、1984年9月場所に新入幕を果たします。

新入幕後は、3場所目で11勝を挙げ敢闘賞を受賞、期待の若手として注目を集めました。

しかし、1985年5月場所前に交通事故を起こし負傷。この事故をきっかけに、現役力士の自動車運転禁止規定が設けられました。

その後も怪我に悩まされながら土俵に上がり続け、1986年3月場所では12勝3敗で敢闘賞、同年7月場所には10勝、9月場所には新関脇に昇進。

その後も怪我に見舞われながらも、1988年3月場所に再入幕、9月場所では小結で10勝5敗、殊勲賞を受賞。

1989年11月場所では小結で11勝4敗、敢闘賞を受賞し、再び関脇に返り咲くなど、幕内上位で活躍しました。

特に1992年7月場所では、13勝2敗で自身初の幕内優勝を達成し、平幕力士としては史上24人目の快挙を果たしました。

塩まきで人気者に!

塩まきのエピソードとファンの反応

水戸泉といえば、豪快な塩まきが有名です。

新十両に昇進した場所で勝ち星が伸び悩んだ際、気分転換に思い切り塩をまいてみたことがきっかけで、以降は大量の塩をまくようになったという逸話があります。

その塩まきは、1回に600gにも及ぶこともあり、天井に向かって高く舞い上がる塩が観客を大いに沸かせました。

1991年のイギリス・ロンドン公演では「ソルトシェイカー」と紹介され、海外でもその名が知られるようになりました。

水戸泉の塩まきは、ただのパフォーマンスではなく、土俵に上がる際の気持ちの切り替えや初心を忘れないための儀式としての意味合いも持っていました。

一般男性
あの600gもの塩、見るたびにパワーを感じるよね。
一般女性
ええ、本当に。パフォーマンスとしても圧倒的だし、彼の気持ちが伝わってくるわ。

「名古屋場所前に束の間の癒し、錦戸親方と水戸龍 土岐の窯元、師弟で陶芸」

引用元: 中日新聞Web

錦戸親方として

平成四年初場所 水戸泉×久島海
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指導力士と指導方針

2000年9月場所を最後に引退した水戸泉は、年寄・錦戸を襲名し、親方として後進の指導にあたっています。

2002年には高砂部屋から分家独立し、錦戸部屋を創設。

錦戸部屋からは、幕内力士の水戸龍をはじめ、多くの力士が誕生しています。

錦戸親方は、自身の経験を活かし、力士一人ひとりの個性を尊重しながら、厳しくも温かい指導を行っています。

一般男性
親方としての厳しさと温かさが、後進にもしっかり伝わっているね。
一般女性
そうだね。彼の指導方針は、個性を大切にしながらも基礎をしっかりと固めるものだわ。

病気との闘い

病名、現在の状況、周囲のサポート

近年、錦戸親方は腎不全を患い、人工透析を受けていることを公表しました。

長時間の人工透析が必要なため、稽古場に出られない日もあるとのことです。

一時は部屋の運営も危ぶまれましたが、家族や支援者の支えにより、懸命に病気と闘っています。

度重なる怪我や病気との闘いを経て、彼は決して諦めない姿勢を貫いてきました。

一般男性
病気に苦しみながらも、常に前向きな姿勢には本当に頭が下がるよ。
一般女性
うん、彼の不屈の精神が、周囲の人々にも大きな勇気を与えているのね。

「元関脇・水戸泉の錦戸親方が還暦パーティー 塩まきパフォーマンスは「迷惑がかかっちゃうので」と固辞」

引用元: スポーツ報知

人物像

土俵上では豪快な相撲で観客を沸かせていた水戸泉ですが、土俵を降りると温厚で優しい性格で知られています。

周囲への思いやりが深く、弟弟子や付け人たちを食事に連れて行き、悩みを聞いて励ますなど、その人柄が高く評価されています。

趣味

水戸泉は、絵を描くことが趣味で、特に油絵を愛好しています。

少年時代から絵を描くことが好きで、漫画の模写などをして過ごしていたそうです。

力士になってからは、高砂親方の夫人に紹介されたことがきっかけで油絵を始め、引退相撲のポスターには自身が描いた自画像が使われるなど、その才能を発揮しています。

エピソード

大の読売ジャイアンツファンである水戸泉は、1992年7月場所、自身が幕内優勝を争っている最中にも関わらず、「優勝の可能性? 100パーセントだ。もちろん、巨人のだよ」と報道陣を煙に巻いた逸話があります。

また、ゲーム好きとしても知られ、特に『ドラゴンクエスト』に熱中していた時期があり、当時の付け人にレベル上げを頼んでいたというエピソードも伝えられています。

家族

水戸泉には、2歳年下の弟で元十両力士の梅の里昭二さんがいます。

梅の里さんは、兄と同じ高砂部屋に入門し、1980年3月場所に初土俵を踏み、最高位は西十両13枚目。

引退後は、錦戸部屋のマネージャーを務めています。

水戸泉の未来

今後の展望とファンへのメッセージ

力士として、親方として、そして一人の人間として、数々の試練を乗り越えてきた水戸泉。

これからも相撲界の発展に貢献するとともに、病気と闘いながら後進の成長を見守っていくことでしょう。

結論

水戸泉は、豪快な塩まきと力強い相撲で多くのファンを魅了した力士でした。

引退後は錦戸親方として後進の指導にあたり、病気との闘いも経験しています。

彼の力士時代から現在に至るまでの軌跡やエピソードを知ることで、その多面的な魅力と不屈の精神がより深く理解できるでしょう。

怪我や病気に負けず、常に前向きに生きる錦戸親方の姿は、相撲界のみならず多くの人々に勇気を与えています。

これからも、相撲界、そして社会全体に貢献し続ける錦戸親方の活躍に期待したいですね。