元輝鵬・川副の相撲道、原点を辿る:出身小学校、中学校、高校時代

小学校時代:相撲との出会いと基礎
初めての相撲との出会い
川副が相撲と出会ったのは、宇土市立立花小学校に入学した1年生の頃でした。
地元宇土市の「宇土少年相撲クラブ」に通い始めたことが、彼の本格的な相撲人生のスタートとなりました。
複数の情報源によると、同部屋の草野とは保育園の頃からの幼馴染であり、共に宇土市立花園小学校に通っていた可能性も指摘されています。

「初めて相撲クラブに通い始めた時、夢中になった気持ちが伝わってくるね。」

「そうね。幼い頃からの出会いが、その後の努力の基礎になったんだろうな。」
クラブ活動と基礎固め
宇土少年相撲クラブは、熊本県宇土市に根差した歴史あるクラブであり、中学生と小学生合わせて約30名が日々稽古に励んでいます。
園田茂監督をはじめとする指導者やOBたちの熱心な指導が、クラブの活動を支え、川副の相撲の基礎を固める環境となりました。
また、保育園時代の相撲大会で女子に投げ飛ばされた経験が、彼の「この子に勝つまでは絶対に相撲を辞められない」という強い決意を生むきっかけとなったのです。
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中学校時代:才能の萌芽と全国の舞台へ
全国大会での実績と成長
小学校卒業後、川副は宇土市立鶴城中学校に進学し、そこで相撲の才能が大きく開花しました。
中学校3年生の時には、全国都道府県中学生相撲選手権大会の軽量級で見事優勝、さらに白鵬杯でも個人優勝という輝かしい成績を収めました。
これにより、同世代の中でも抜きん出た実力が示されました。

「全国大会での優勝は、本当に印象的だったね。中学校時代の努力が実を結んだ瞬間だよ。」

「確かに。周りとの競争が彼の才能をさらに磨いたに違いないわ。」
友情とライバル関係
特筆すべきは、同じ中学校から幼馴染の草野も中学生横綱のタイトルを獲得している点です。
二人の全国チャンピオン誕生は、鶴城中学校の相撲部が非常に活況を呈していた証拠であり、互いに切磋琢磨し成長を促し合った関係が伺えます。
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高校時代:さらなる高みへ
文徳高校での挑戦と成功
中学校卒業後、川副は相撲の名門として知られる文徳高校に進学。
文徳高校相撲部はインターハイ優勝や全国選抜大会優勝などの実績を誇る強豪校であり、その環境で彼は実力をさらに磨きました。
高校2年生の時には、国民体育大会相撲競技少年の部で個人優勝を果たし、全国高等学校相撲選抜大会の100kg級でも優勝するなど、数々の輝かしい成果を残しました。

「文徳高校という厳しい環境での挑戦、本当にすごい成果だね。」

「彼の努力と成功が、後の大きなステップに繋がったのは間違いないわ。」
団体戦と他スポーツとの交流
高校3年生の時には、宇佐大会で団体優勝に大きく貢献。
また、プロ野球選手の村上宗隆との交流もあり、文徳高校と九州学院高校が近接していたことから、異なるスポーツ分野で活躍する仲間たちとの会話が、互いの成長に刺激を与えたと伝えられています。
さらに、本田浩二監督や古川貴博コーチらの熱心な指導のもと、川副は着実に実力を伸ばしていきました。
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学校・クラブ実績表
期間 | 学校/クラブ | 主な実績 |
---|---|---|
小学校 | 宇土少年相撲クラブ | 幼稚園での敗北を機に相撲を始める |
中学校 | 宇土市立鶴城中学校 | 全国都道府県中学生相撲選手権大会軽量級優勝、白鵬杯個人優勝 |
高校 | 文徳高校 | 国民体育大会相撲競技少年の部個人優勝、全国高等学校相撲選抜大会100kg級優勝、宇佐大会団体優勝 |
まとめ
元輝鵬・川副の相撲道は、故郷である宇土市での小学校時代に始まり、中学校・高校と進むにつれてその才能を開花させていきました。
幼稚園での悔しい経験をバネに、宇土少年相撲クラブで基礎を固め、鶴城中学校では全国の舞台で頭角を現しました。
そして、文徳高校での厳しい鍛錬と数々の勝利を経て、プロの世界へと羽ばたいたのです。
高校卒業後は日本大学に進学し学生横綱として輝かしい実績を残し、その後プロ入り。
輝鵬として土俵に上がったものの、怪我などを乗り越え、現在は本名の川副圭太として再び土俵に立っています。
平成11年生まれの「花のイチイチ組」として、豊昇龍や尊富士といった現役大相撲を牽引する力士たちと共に、相撲界に新たな風を吹き込んでいます。