【八角親方】北勝海の現役時代や学歴、現在の年収は?
八角親方は、第61代横綱 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)として活躍した元力士です。
現役時代は千代の富士の後継者として期待され、8回の幕内最高優勝を達成しました。
引退後は、親方として後進の指導にあたり、現在は日本相撲協会の理事長を務めています。
この記事では、八角親方の現役時代、学歴、そして現在の年収について詳しく解説していきます。

「八角親方の経歴は、本当に輝かしいですね。」

「そうね。現役時代の活躍やその後の指導者としての姿勢に感動します。」
項目 | 内容 |
---|---|
生年月日 | 1963年6月22日 |
出身地 | 北海道広尾郡広尾町 |
最高位 | 第61代横綱 |
幕内最高優勝 | 8回 |
得意技 | 左四つ・押し・寄り切り |
現役時代のライバル | 大乃国 |
引退理由 | 腰の怪我 |
出身校 | 広尾小学校、瑞江第二中学校 |
大学進学 | 無し |
現在の役職 | 日本相撲協会理事長 |
年収(推定) | 3,000万円以上 |
1. 力士としての経歴
1.1 生い立ちと入門
八角親方は、1963年6月22日、北海道広尾郡広尾町に生まれました。
幼い頃から相撲に興味を持ち、広尾小学校の卒業文集には「将来は相撲取りになって、芝生のある家を建てる」と書いていたそうです。
1.2 現役時代の活躍
1979年3月場所に初土俵を踏み、1983年9月場所に新入幕を果たしました。
新入幕からわずか2場所で小結に昇進するなど、順調に出世していきます。
八角親方の台頭は非常に速く、わずか4年で幕内から横綱に昇進しました。
1986年春場所では、西関脇の地位で史上初めて5大関を破る快挙を達成し、13勝2敗で初優勝しました。
同年名古屋場所後に大関に昇進し、しこ名を保志から北勝海に改名しました。
1987年春場所では2回目の優勝を果たし、続く名古屋場所では13勝2敗の好成績を残し、23歳という若さで横綱昇進を決めました。
横綱昇進時の口上は「横綱の名を汚さぬよう、これからも一生懸命稽古をし努力します」というものでした。
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1.3 得意技
八角親方の得意技は、押し、左四つ、寄りでした。
左四つからの寄りは、相手の懐に潜り込んで一気に寄り切る豪快なもので、多くのファンを魅了しました。
1.4 ライバル力士
八角親方のライバルとして、同郷で1歳年上の大乃国(元横綱、現芝田山親方)が挙げられます。
二人とも北海道の十勝地方出身で、中学時代には柔道の大会で対戦したこともあったそうです。
力士としても、何度も優勝争いを繰り広げ、互いに切磋琢磨していました。
特に1987年夏場所の千秋楽での直接対決は、横綱昇進をかけた大一番として今も語り継がれています。
1.5 引退
1988年夏場所千秋楽、腰を痛めたことをきっかけに、名古屋場所から3場所連続で全休。
腰部椎間板損傷と左股関節挫傷により、2ヶ月間まともに歩けない状態が続きました。
「なんとしてももう1度土俵に上がりたい」という執念で、1日8時間以上のリハビリを敢行。冷凍療法なども取り入れ、見事な復活を遂げましたが、その後も怪我に悩まされることが多くなりました。
1992年5月場所、28歳という若さで現役を引退しました。
また、近年北海道出身の力士の活躍が減少している背景も、相撲界全体の課題といえるでしょう。
2. 学歴と私生活
2.1 出身校
八角親方は、広尾町立広尾小学校、江戸川区立瑞江第二中学校を卒業。
中学卒業後、九重部屋に入門したため、高校には進学していません。
2.2 大学進学の有無
高校卒業時点では大学には進学していません。
2.3 学業成績
具体的な学業成績に関する情報は、入手できませんでした。
2.4 結婚
1990年3月に結婚しています。

学歴はシンプルですが、実績がしっかりと現れているね。

そうね。結婚や私生活も含め、彼の生き様は魅力的だと思います。
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3. 引退後の相撲協会での役割
引退後、八角親方は後進の指導に尽力するだけでなく、相撲協会の運営にも深く関わってきました。
2000年から2004年にかけて監事を2期務め、2012年からは理事に就任。
理事としては、広報部長、指導普及部長、危機管理部長、博物館運営委員など、様々な役職を歴任しました。
2010年には役員待遇に就任しましたが、2011年の大相撲八百長問題の影響で、役員待遇を辞任しています。
理事時代のエピソードとして、琴欧洲の休場による不戦勝や、ぶつかり稽古の不足に対する若手力士への指導など、彼の責任感がうかがえます。
また、日馬富士と鶴竜の横綱昇進伝達式での使者就任など、理事長代行を経て、2015年12月に正式に第13代日本相撲協会理事長に就任しました。

引退後も協会で活躍する姿勢は、非常に頼もしいね。

そうね。伝統を守りつつ、新たな改革にも取り組む姿勢が印象的です。
4. 現在の年収
4.1 日本相撲協会の役員としての報酬
日本相撲協会の役員報酬は公表されていませんが、過去の資料などから理事長の年収は2,000万円以上と推定されています。
また、2002年から2012年まで、十両以上の力士と親方の給与は据え置かれていました。
4.2 テレビ出演料などの副収入
八角親方はNHKの大相撲中継で解説者を務めるなど、テレビ出演も多く、副収入があると考えられます。
特に幕下以下の取組の解説を担当していたことは、横綱経験者としては異例のことで注目されています。
4.3 年収の推定額
上記の情報を総合すると、八角親方の年収は3,000万円以上と推定されます。
さらに、理事長経験者には退職慰労金や功労金、再雇用制度などの制度もあり、収入面では大きなプラスがあるとされています。
5. まとめ
八角親方は、現役時代に千代の富士の後継者として輝かしい成績を収め、8回の幕内最高優勝を達成した名横綱です。
そのスピードとパワーを兼ね備えた取り口は、多くのファンを魅了しました。
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引退後は親方として後進の指導に尽力し、現在は日本相撲協会の理事長として相撲界の発展に寄与しています。
年収については公表されていませんが、役員報酬や副収入などを考慮すると3,000万円以上と推定されます。
八角親方の相撲に対する真摯な姿勢と功績、そして相撲界への貢献は、後世に語り継がれるべきものです。

彼の功績や取り組みは、本当に尊敬に値するね。

そうね。これからも八角親方の活躍と、相撲界の発展に期待しましょう!