朝乃山の家族はどんな人?父・母・兄弟と子供時代まとめ!
富山県出身の力士、朝乃山。端正な顔立ちと力強い相撲で人気を集め、大関にまで上り詰めた実力者です。
遅くなりましたが
3月1日
朝乃山、お誕生日おめでとうございます♪🎂🎉
素敵な一年になりますように✨️
応援しています!こちらは令和元年、朝乃山初優勝の頃の月刊相撲と付録の番付表。
懐かしいです😌 pic.twitter.com/w7HbdmyxnU— セーラ (@eTTgw9EGN23976) March 2, 2025
朝乃山31歳のお誕生日おめでとうございます!
再び上で相撲を取る姿を楽しみにしています!#高砂部屋#朝乃山 pic.twitter.com/iSCjQs3Dvg— 神田佳子 Yoshiko Kanda (@kandayoshiko) March 1, 2025
しかし、2021年には新型コロナウイルス対応ガイドライン違反により6場所の出場停止処分を受け、一時はどん底を味わいました。
それでも腐ることなく土俵に戻り、2023年には十両優勝を果たし幕内復帰。そして2024年には再び三役に返り咲くなど、不屈の闘志で這い上がってきました。
そんな朝乃山を陰ながら支えてきたのが家族の存在です。今回は、朝乃山の家族にスポットを当て、父親、母親、兄弟、そして子供時代について詳しく紹介します。
朝乃山の父親
朝乃山の父親の名前は石橋靖さん。元漁師で、捕鯨船の砲手として活躍していました。長い航海に出る仕事柄、年に2回ほどしか家に帰ることができなかったといいます。
父親が不在がちの家庭環境で育った朝乃山は、幼い頃から家族を安心させようと明るく振る舞うようになったそうです。
この経験が、後に相撲界で様々な困難に直面した時にも、決して諦めずに立ち向かう精神力の礎になったのかもしれません。
靖さんは後に捕鯨船を降り、高知でホエールウォッチングの船長に転身しました。息子の名前から「末弘丸」と名付けた船で、観光客を案内していたといいます。息子への深い愛情が感じられるエピソードです。
朝乃山の大関昇進時には、「妻と2人で『ヤッター!』と叫んでいました」と喜びを爆発させ、また、不祥事発生時には地元の関係者に謝罪に回り、息子を叱咤激励するなど、厳しくも温かい父親として支えてきました。残念ながら、2022年8月16日に急性心原性肺水腫のため64歳で亡くなりましたが、天国から息子の活躍を見守っていることでしょう。

「父さんは遠くで働いていたけど、いつも家族のために頑張っていたよね。」

「そうね。離れていても、息子を励ます温かい心が伝わってくるわ。」
「元大関・朝乃山が春場所へ「サポーターが相棒になる」 …左膝不安も「相撲が好き」」
朝乃山の母親
朝乃山の母親については、名前や職業などの詳細は公開されていません。しかし、朝乃山が高校時代に相撲に打ち込む姿を見て、「あと少しやらせてください!」と練習時間の延長を頼むほど、息子の熱意に心を打たれていたといいます。献身的な母親像が浮かび上がります。
また、高校時代、朝乃山は大事な試合で連敗し、結果が出せずに苦しんでいました。それでも努力を続けることができたのは、母親の温かい励ましがあったからこそでしょう。
大関昇進後、普段は連絡を取らない息子から、たまに電話がかかるようになったと、母親は嬉しそうに語っていました。朝乃山と母親の強い絆が感じられます。

「母さんはいつも、朝乃山の努力をそっと支えてくれていたよね。」

「本当に。どんな時も、温かく励ましてくれる存在だったのね。」
「朝乃山再起へ、天(あまね)と9日に初戦 大相撲春場所」
朝乃山の兄弟
朝乃山は2人兄弟の長男で、4歳下の弟がいます。弟も力士を志し、朝乃若の四股名で高砂部屋に入門しました。
2022年11月場所では、出場停止処分から復帰した朝乃山と新十両の朝乃若が、同じ宿舎で過ごしたそうです。兄として弟を支え、助言を送ったエピソードから、兄弟仲の良さが伺えます。互いに切磋琢磨しながら成長しているのでしょう。

「兄弟で同じ道を歩むって、心強いよね。」

「ええ、お互いに助け合って、切磋琢磨しているんでしょうね。」
朝乃山の子供時代
朝乃山は1994年3月1日、富山県富山市呉羽町で生まれました。出生時の体重は3678gだったそうです。
明るく活発な性格で、幼い頃は保育園に行くのが大好きでした。小学校1年生の時には水泳を習い始めましたが、長続きはしなかったようです。
小学校4年生の時、担任の先生に誘われて地元の相撲大会に出場したことがきっかけで相撲を始め、ハンドボールも並行してやっていました。
中学校では相撲部に入部し、全国大会で2位になるなど実力をつけ、高校は富山商業高校に進学しました。
高校時代は、相撲部の監督・浦山英樹さんの熱血指導のもと、厳しい練習に励みました。浦山さんは、細身だった朝乃山を「かかし」と呼ぶこともありましたが、それは期待の裏返しで、才能を見抜いていた証拠です。
また、元日マラソンで近道を指摘されるなど、厳しい指導の中で精神力を養ったといいます。
高校時代には、地元チームを応援するため東京を訪れた「白鵬杯」など、相撲界との繋がりが深く、友人やライバルとの交流も多く、周囲の支えを受けながら成長していったことが伺えます。

「子供の頃から相撲に親しんでいたんだね。今の実力はその積み重ねだろう。」

「そうね。幼い頃からの経験が、彼の不屈の精神を育んだのだと思うわ。」
「5場所連続休場中の朝乃山が出場明言 西三段目21枚目から再起へ「ラストチャンス」」
まとめ
漁師の父、献身的な母、そして力士の道を共に歩む兄弟。朝乃山は、温かい家族の支えを受けながら成長してきました。
特に、父親が長期不在だった経験や、高校時代に厳しい指導を受けながらも努力を続けた経験は、彼の不屈の精神を育む大きな要因となったことでしょう。
そして、家族の深い愛情こそが、彼が幾度も困難を乗り越え、力士として輝き続ける原動力となっています。
これからも家族の応援を力に、さらなる活躍が期待されます。
家族の絆があるからこそ、朝乃山はどんな困難にも立ち向かえるのです。今後もその活躍から目が離せません。