時津海時津風:波乱万丈の相撲人生とその後
時津海時津風(本名:坂本正博)は、長崎県五島市出身の元力士です。
東京農業大学卒業後、1996年3月場所に幕下付出で時津風部屋に入門しました。
右四つを得意とし、2001年11月場所には自己最高位となる前頭3枚目に昇進。
技能賞を4回受賞するなど、相撲巧者として活躍しました。
しかし、2007年9月場所限りで現役を引退。
時津風部屋で発生した力士暴行死事件を受け、部屋を継承するため、現役力士としての道を断念したのです。
引退後は時津風親方として後進の指導にあたり、部屋の再建に尽力しました。
しかし、2021年には不祥事により相撲協会を退職。
波乱万丈の相撲人生を送った時津海時津風について、力士時代から現在までの軌跡を辿ります。
【1】力士時代

「あの若い頃の情熱、見るからに本気だな。厳しい稽古も乗り越えて、ここまで成長したんだろうね。」

「本当に。その苦労が今の輝かしい成績につながっているんですね。感動します!」
序章:学生相撲からプロへ、そして名門・時津風部屋へ
農家の二男として生まれた坂本少年は、幼い頃から相撲に親しみ、小学校では野球、中学校では柔道を経験しました。
しかし、中学校の相撲部が休部状態になったことをきっかけに、自宅の倉庫を改造して相撲の稽古を再開。
諫早農業高校、東京農業大学と進学し、学生相撲の世界で活躍しました。
大学卒業後は、企業への就職も考えましたが、「アマチュアよりプロで取る方がいい」という本人の意志で時津風部屋への入門を決意。
1996年3月場所、幕下付出で初土俵を踏みました。
この時津風部屋は、横綱・双葉山が現役中に立ち上げた双葉山道場を前身とする名門です。
粂川部屋などが合流して大きな勢力となり、引退後、双葉山は年寄となって時津風部屋と改称しました。
時津風部屋からは、不動岩、鏡里、豊山など、多くの名力士が輩出されています。
時津海もまた、この伝統ある部屋で力士としての道を歩み始めたのです。
試練の日々:厳しい稽古と風当たり、そして芽生えた相撲巧者の片鱗
当時、学生相撲出身者に対する風当たりは強く、巡業では他の部屋の関取衆から厳しい“かわいがり”を受けることもあったといいます。
新潟での夏合宿では、炎天下の下、過酷な稽古を経験。
寡黙で威厳のある14代時津風親方の指導のもと、坂本青年は必死に努力を重ねました。
このような厳しい環境の中で、時津海は着実に力をつけ、その才能を開花させていきます。
持ち前の器用さと相撲センスで、右四つからの寄りを得意とし、左上手を取れば引き付けが効き、出し投げやひねりも得意としたほか、廻しを切る技術にも秀でていました。
後に「相撲巧者」と呼ばれる所以となる、その片鱗を既に見せていたのです。
飛躍:幕内昇進と技能賞受賞、結婚を機に掴んだ栄光
1998年9月場所、新入幕を果たした時津海は、主に幕内中位で活躍。
2001年から2003年にかけては3度の技能賞受賞など、全盛期を迎えました。
特に印象的なのは、2001年11月場所での初受賞です。
婚約を機に、千秋楽で栃東を破り、見事技能賞を獲得しました。
翌2002年1月場所も、結婚式を控えて臨んだ一番で栃東に勝利し、技能賞を獲得。
こうした活躍から、時津海は「勝負強い力士」として、さらに注目を集めることになります。
力士としての苦悩:組めない脆さと怪我、そして十両陥落
時津海は相撲巧者として名を馳せましたが、組めない場合は脆さを見せることもあり、突き押し相撲の相手には苦戦を強いられることもありました。
また、怪我にも悩まされ、2005年5月場所、西前頭12枚目で3勝12敗と大敗を喫し、翌7月場所で1998年7月場所以来となる十両陥落を経験します。
不屈の闘志:十両優勝と技能賞再受賞、土俵際で見せた意地
十両に陥落した後も、時津海は諦めずに戦い続けました。
2005年7月場所には2度目の十両優勝を果たし、2006年1月場所では12勝3敗の好成績で4回目の技能賞を受賞。
西前頭14枚目という、当時最も低い地位での三役揃い踏みを経験するなど、見事な復活を遂げました。
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突然の引退:力士暴行死事件と部屋継承、現役への未練を断ち切って
2007年、時津風部屋で発生した力士暴行死事件は、角界に大きな衝撃を与えました。
事件を受け、当時の師匠である15代時津風親方が解雇。
部屋の存続が危ぶまれる中、時津海は現役を引退し、16代時津風親方として部屋を継承することを決意します。
当時、幕内下位に低迷していたとはいえ、まだ34歳。
現役続行への未練もあったはずですが、部屋の伝統を守るため、そして力士としての責任を果たすため、苦渋の決断を下しました。
【2】親方時代

「親方になってからの重責、本当に覚悟が必要だよね。彼の言葉に胸が熱くなる。」

「うん、後進への指導や部屋再建の努力は、本当に尊敬に値するわ。これからも応援したい!」
部屋再建への道のり:謝罪行脚と後進の指導
時津風親方となった時津海は、まず力士暴行死事件の被害者遺族への謝罪、そして各地の後援会への謝罪行脚を行いました。
部屋の再建に向けて、尽力したのです。
指導者としては、厳しい稽古を長時間行うのではなく、限られた時間の中で集中力を高め、気合と力を入れて稽古をすることを重視しました。
自身の経験から、だらだらとした稽古では効果が上がらないことを実感していたのでしょう。
不祥事と退職勧告:繰り返された違反行為、そして角界からの追放
部屋の再建に尽力していた時津風親方でしたが、2010年には野球賭博問題で謹慎処分、2020年にはコロナ禍における不要不急の外出禁止規定違反やゴルフ旅行が報じられました。
そして2021年1月場所中には、新型コロナウイルス感染対策ガイドラインに違反して雀荘や風俗店に通っていたことが発覚し、相撲協会から退職勧告を受けました。
これらの不祥事により、時津風親方は再び角界を去ることになりました。
部屋を継承するために現役を引退した時津海。しかし、今度は自身の不祥事によって角界を去るという、皮肉な結末となりました。
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【3】プライベート

「プライベートでも堅実な姿勢が感じられるね。仕事とはまた違った魅力がある。」

「そうね。新たな人生に向けた挑戦は、これからも注目していきたいわ。」
離婚:部屋の仮差押さえと新たなスタート、家族との絆
2021年、時津風親方は妻と離婚。
時津風部屋の施設が妻によって仮差押さえされたことが報じられ、世間を騒がせました。
離婚の原因は、時津風親方が長男・次男の角界入門を控えた時期に遊び歩いた結果、相撲協会を退職に追い込まれたこととされています。
後にインタビューで、離婚の経緯や現在も連絡を取り合っていることが明かされました。
息子たち:角界入りと立浪部屋での活躍、受け継がれる相撲の血脈
時津風親方には2人の息子がおり、長男の博一(四股名「木竜皇」)と次男の正真(四股名「春雷」)は共に角界入りしています。
当初は父が師匠を務める時津風部屋に入門予定でしたが、親方退職後、立浪部屋へと進みました。
長男は2023年5月場所で幕下優勝を果たし、次男も日々精進しながら稽古に励んでいます。
父の相撲の血脈は、確実に息子たちに受け継がれているのです。
駐車禁止除外指定車標章の悪用:明らかになった不祥事
時津風親方は、歩行困難な障害者向けの「駐車禁止除外指定車標章」を悪用した疑いで、2023年に偽造有印公文書行使の容疑で逮捕されました。
取り締まりを免れるための行為であったと容疑を認めています。
現在:相撲界を離れて、そして再び
相撲協会退職後、時津風親方は都内で一人暮らしをしながら、支援者のもとを回り退職の経緯を説明するなど、新たな生活を始めています。
家では体調管理のためトレーニングも欠かさず、2021年には犯罪ジャーナリストの小川泰平氏のYouTubeチャンネルに出演するなど、再び注目を集めています。