【あの頃のヒーローは今?】元大関若嶋津の現在、そして家族について

若嶋津
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「南海の黒豹」の異名で、土俵を沸かせた元大関若嶋津

甘いマスクと豪快な吊り技で、当時の人気力士の一人でした。

1987年に現役を引退後、親方として後進の指導にあたっていましたが、2022年1月に日本相撲協会を定年退職しました。

今回は、そんな若嶋津の現在の活動、そして歌手・高田みづえとの結婚、子供たちの活躍など、家族について詳しくご紹介します。

一般男性
若嶋津さんは、あの頃の輝きを今も大切にしているようだね。
一般女性
そうね。昔と比べて落ち着いた雰囲気だけど、今もファンに愛される存在だわ。

若嶋津の現在

若嶋津六夫は、1957年、鹿児島県種子島の中種子町で、農漁業を営む両親のもとに8人兄弟の末っ子として生まれました。

小学校卒業と同時に家族で鹿児島市に移り住み、中学時代は歌手の長渕剛さんと同級生だったそうです。

鹿児島市立甲南中学校3年生の時、下校途中に鹿児島商工高校(現・樟南高校)相撲部監督の坂口純治氏に勧誘され、相撲の道へ進みます。

高校3年時には茨城国体で高校団体の部優勝に貢献し、その後、坂口氏の紹介で二子山部屋に入門しました。

「悲願の初優勝 1985年春場所は4、5…:元大関朝潮、先代高砂親方 写真特集:時事ドットコム」

引用元: jiji.com

親方として

現役時代は186.5cm、121kgの体格で、左四つ、上手投げ、吊りを得意技としていました。

1981年1月場所に新入幕を果たし、1983年1月場所には新大関に昇進。

幕内最高優勝2回、敢闘賞2回、技能賞3回など輝かしい成績を残しました。

特に、1984年は年間最多勝となる71勝を挙げ、大関としての実力を遺憾なく発揮しました。

しかし、怪力を誇った出羽の花には14勝15敗と負け越し、現役晩年には益荒雄に4連敗を喫するなど、苦戦を強いられた相手もいました。

1987年7月場所を最後に現役を引退し、年寄・松ヶ根を襲名。

二子山部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたりました。

1988年1月に行われた引退相撲では、当時入門直前だった花田勝(後の横綱・3代目若乃花)と花田光司(後の横綱・2代目貴乃花)兄弟との稽古が特別企画として行われました。

1990年2月には二子山部屋から独立し、松ヶ根部屋を設立。

若光翔、若孜、春ノ山、松鳳山ら4人の幕内力士を育て上げ、師匠としての手腕も発揮しました。

一般男性
親方として、後進の育成に真摯に取り組む姿勢が印象的だね。
一般女性
ええ、昔の栄光だけでなく、その後の指導力も相撲界に大きく貢献しているわ。

「元大関・若嶋津の荒磯親方が退職 現役時代は南海の黒ヒョウの愛称で人気 夫人は元歌手の高田みづえさん」

引用元: hochi.news

日本相撲協会の理事として

2012年2月からは日本相撲協会の副理事に就任し、審判部副部長、巡業部副部長を歴任しました。

2014年4月には理事に就任し、九州場所担当部長を務めるなど、相撲界の発展に尽力しました。

2016年1月の理事候補選挙で再選を果たし、同年3月の職務分掌では審判部長に就任。

本場所開催中はスポーツニッポンに解説「黒豹が斬る」を連載するなど、多方面で活躍しました。

病気による休場、そして定年へ

2017年11月場所を急性呼吸不全のため途中休場し、その後も療養のため休場が続きました。

2018年3月には役員待遇委員に退き、指導普及副部長に就任。

2021年12月、元横綱稀勢の里と名跡を交換し、荒磯親方として定年を迎えました。

定年退職に際しては、「今はただ相撲協会や支えてくれた方々に感謝しかありません。いい相撲人生を送らせていただきました。これからも相撲界の発展のため、微力ながら貢献したいと思います」とコメントしています。

定年後は再雇用制度を利用し、参与として協会に残りました。

2023年7月には荒磯を元琴勇輝の北陣親方へ譲り退職。

2024年2月には元4代朝潮のお別れの会に出席するなど、現在も相撲界との関わりを持ち続けています。

メディア出演

現役引退後も、その知名度から、テレビ番組やCMに出演する機会がありました。

特に、バラエティ番組では、親しみやすいキャラクターで人気を博し、お茶の間を和ませてくれました。

嫁・高田みづえ

アイドル歌手として

高田みづえさんは、1977年に「硝子坂」で歌手デビュー。

「私はピアノ」「潮騒のメロディー」などのヒット曲を世に送り出し、NHK紅白歌合戦にも出場するなど、1980年代を代表するアイドル歌手として活躍しました。

若嶋津との結婚、そして相撲部屋のおかみさんへ

1985年、当時大関だった若嶋津と結婚。

当時の人気アイドルと人気力士の結婚は、まさに「世紀の結婚」として大きな話題を呼び、結婚披露宴は平均視聴率30.2%を記録しました。

結婚後は芸能界を引退し、若嶋津を支える道を選びました。

引退当初は、自身のレコードや出演ビデオ、受賞トロフィーなども手放し、完全に芸能界から距離を置いていたそうです。

若嶋津の引退後は、松ヶ根部屋、そして二所ノ関部屋のおかみさんとして、部屋の切り盛りや力士のサポートに徹しました。

アイドルからおかみさんへ:高田みづえの献身

【相撲部屋】先代師匠/若嶋津クイズ大会
画像引用元:youtube

高田みづえさんの人生は、まさに「転身」という言葉がふさわしいです。

人気絶頂のアイドル歌手から、相撲部屋のおかみさんへと華麗に転身。

芸能界を離れ、土俵の世界を支えるために尽力した彼女の決断は、並大抵のものではありません。

おかみさんとして、若嶋津を陰ながら支え、部屋を温かく包み込む存在となりました。

若嶋津と高田みづえ:型破りな結婚が生んだもの

当時の人気アイドルと人気力士の結婚は、大きな驚きをもって迎えられました。

異なる世界で生きてきた二人が結ばれたことは、多くの人の心を掴み、時代を超えて愛されるストーリーとなりました。

二人の結婚は、相撲界と芸能界の垣根を越え、多くの人々に夢と希望を与えたと言えるでしょう。

娘と息子

若嶋津と高田みづえの間には、一男一女がいます。

長女・アイリ

アイリさんは、両親のDNAを受け継ぎ、女優・モデルとして活躍中。

2020年にはYouTubeチャンネルを開設し、両親との共演動画を公開するなど、幅広い分野で活躍しています。

2022年10月には、交際していた方との結婚を発表し、「朝から晩まで笑わせてくれる彼」と語っています。

長男・勝信

勝信さんは、元俳優・元タレントとして活動していましたが、現在は芸能界からは引退しています。

まとめ

「南海の黒豹」として一世を風靡した若嶋津は、現役引退後、親方として、そして相撲協会の理事として、相撲界に大きく貢献してきました。

2022年1月に日本相撲協会を定年退職し、現在は静かな生活を送っているようです。

妻の高田みづえは、人気絶頂のアイドル歌手から一転、相撲部屋のおかみさんとして若嶋津を支え続けました。

30年以上にわたるおかみさん業を通して、彼女は「家族」という土俵で力士たちを支え、若嶋津と共に歩んできました。

子供たちもそれぞれの道で活躍しており、若嶋津一家は今も幸せに暮らしています。

若嶋津の力士としての輝き、高田みづえの献身、そして家族の温かい絆は、多くの人々に感動と勇気を与え続けています。

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