
寺尾(元錣山親方)の嫁はどんな人で子供は息子2人?
元関脇・寺尾こと錣山親方が2023年12月17日に亡くなられました。
享年60歳。
現役時代は細身ながら、豪快な突っ張りで人気を博した力士でした。
今回は、そんな寺尾の家族について、特に嫁や子供について詳しく掘り下げていきます。
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寺尾親方の家族について、どんなエピソードがあるのか気になるね。

そうね。家族を支えた裏側には、たくさんのドラマがあったはずよ。
寺尾常史(元錣山親方)とは?
寺尾常史は、1963年2月2日生まれ、鹿児島県出身の元大相撲力士です。
1979年7月場所に初土俵を踏み、1985年3月場所に新入幕を果たしました。
細身ながら強烈な突っ張りを武器に幕内上位で活躍し、上位陣を苦しめる場面も多く、金星を7個獲得しています。
現役時代は「土俵の鉄人」の愛称で親しまれ、通算出場記録1795回は歴代1位という偉業を成し遂げています。
これは、当時歴代3位であった幕内在位93場所と合わせ、彼の力士としての並外れた持久力と献身を示すものです。
プロレスラーの高田延彦との親交も深く、高田と向井亜紀の結婚にも一役買っています。
向井の両親は、プロレスラーとの結婚に猛反対していましたが、高田と寺尾が親友であり、両親が寺尾の大ファンだったことから、結婚を許したというエピソードもあります。
2002年9月場所に引退し、年寄・錣山を襲名。後進の指導に尽力しました。
「福薗伊津美「夫・寺尾は葬儀はいらないといったけれど、通夜に800名、告別式に400名。藤島親方、盟友だった貴乃花…たくさんの相撲関係者が訪れて」」
寺尾常史の嫁はどんな人?
残念ながら、寺尾の嫁に関する情報は限られています。
公表されている情報やネット上の情報から、可能な限り彼女の特徴をまとめると、一般女性であるため名前や顔写真は公開されていません。
寺尾とは見合い結婚だったようで、現役時代から献身的に夫を支えてきたと言われています。
なお、相撲茶屋「吉可和」を経営していた寺尾文子とは別人です。

寺尾の嫁の情報は少ないけど、きっととても温かい人だったんだろうね。

そう思うわ。夫を支え続けた献身的な一面が、周囲に伝わっていたはずよ。
寺尾常史の息子たち
寺尾由布樹
寺尾由布樹は、寺尾の妻の連れ子であり、義理の息子にあたります。
俳優、タレントとして活動しており、1977年12月21日生まれ、大分県出身です。
蜷川幸雄演出の舞台『ロミオとジュリエット』で俳優デビューし、映画『残侠ZANKYO』や大林宣彦監督作品『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』などに出演しています。
もう1人の息子
もう1人の息子は一般人であるため、詳細な情報はほとんどありません。
寺尾の死後、錣山部屋を継承する可能性も報じられています。
錣山親方としての寺尾
現役引退後、寺尾は年寄・錣山を襲名し、後進の指導に当たりました。
2013年には錣山部屋を創設し、部屋からは阿炎政虎や寺尾丸といった関取が誕生しています。
錣山親方は、力士たちに対して自身の経験を踏まえ、厳しくも温かい指導を行っていたことで知られています。
「元寺尾の錣山親方訃報一夜明け 兄の元井筒親方長女と結婚した志摩ノ海も驚き隠せず「悲しい」」
まとめ
寺尾常史は、土俵内外で多くの人々に愛された力士でした。
彼の活躍は多くのファンに感動と興奮を与え、家族は彼を支え共に歩んできたかけがえのない存在です。
結論
この記事では、元関脇・寺尾こと錣山親方の家族、特に嫁や子供に焦点を当てて情報をまとめました。
嫁は一般女性であり、情報は限られていますが、献身的に夫を支えてきたことが伺えます。
息子は2人おり、俳優として活躍する寺尾由布樹と、もう1人は一般人です。
寺尾常史は、土俵の鉄人として圧倒的な出場記録を誇り、引退後も錣山親方として後進の指導に尽力し、相撲界の発展に大きく寄与しました。
彼の功績と家族への愛情は、今後も多くの人々の記憶に残ることでしょう。
「元関脇寺尾の錣山親方が死去 60歳、回転のいい突っ張り武器に活躍」