北青鵬の両親と兄弟はどんな人?国籍は?
北青鵬は、恵まれた体格と将来性を期待されながら、暴力事件により22歳という若さで角界を去った力士です。
今回は、そんな北青鵬の家族にスポットを当て、両親や兄弟について詳しく紹介します。
北青鵬の両親について
北青鵬の両親は、ともにモンゴル国ウランバートル出身です。
母親は語学留学のため、北青鵬が5歳の時に札幌に移住しました。
父親は、モンゴルで国民的英雄として知られるジグジドゥ・ムンフバトです。
モンゴル相撲で5年連続、通算6度の優勝経験を持つ元アヴァルガ(大相撲の横綱に相当)で、メキシコ五輪のレスリング重量級ではモンゴル初の五輪メダリストとなる銀メダルを獲得しました。
母親は元外科医で、チンギス・ハーンの流れを汲む家柄の出身だと言われています。

「父親が国民的英雄だなんて、すごい経歴だね。」

「母親も元外科医ということで、しっかりした家族背景が感じられるわね。」
北青鵬の兄弟について
北青鵬の兄弟に関する情報は、残念ながら見つけることができませんでした。
北青鵬の家族エピソード
北青鵬が相撲を始めたきっかけは、札幌巡業で横綱白鵬(後の13代宮城野)と出会ったことでした。
白鵬に相撲をやることを勧められ、札幌相撲スポーツ少年団に入団しました。
6歳の時には韓国の空港で白鵬と再会し、一緒に写真を撮ってもらったこともあったそうです。
この頃から「大きくなったら白鵬の弟子になる」という夢を抱いていたといいます。
小学校4年生から6年生までわんぱく相撲全国大会と全日本小学生相撲優勝大会に3年連続で出場するなど、幼い頃から相撲で活躍していました。
小学校卒業後は白鵬の紹介で鳥取市に相撲留学し、鳥取市立西中学校時代には厳しい環境に耐えかねて北海道へ帰郷したこともありました。
しかし、白鵬の激励を受けて鳥取に戻り、相撲に打ち込む生活を送りました。
鳥取城北高校時代には全国大会に出場し、団体戦では2年次と3年次に金沢大会で連覇を果たしています。
高校卒業後は、白鵬の内弟子として宮城野部屋に入門しました。
モンゴル国籍ですが、日本への在留期間が10年を超えているため、外国出身力士枠の対象にはなりませんでした。
四股名は白鵬が名付け親で、下の名前は札幌相撲スポーツ少年団の監督の名前からもらったそうです。
四股名の由来は、出身である北海道の「北」、モンゴルの空から「青」、白鵬の「鵬」からきているそうです。
北青鵬は、右膝に爆弾を抱えており、場所中にその症状が悪化して途中休場を余儀なくされることもありました。
師匠の13代宮城野は、北青鵬の体格を活かした押し相撲を指導していましたが、北青鵬はなかなかその指導を受け入れられずにいました。
「【大相撲】北青鵬は卑劣極まりない暴行でも〝処分なし〟の理由 引退届の受理は角界の慣例」
引用元: tokyo-sports.co.jp
暴力事件による引退
北青鵬は、2024年1月場所を途中休場しました。
その後、複数の兄弟弟子に対する暴力行為が明らかになり、相撲協会から引退勧告を受けました。
北青鵬は暴力行為を認め、引退届を提出しました。

若くして引退するのは、とても残念だね。

うん、才能あるだけに、もっと長く戦ってほしかったわ。
まとめ
北青鵬は、モンゴル出身の両親を持ち、幼い頃から相撲に打ち込んできた力士です。
恵まれた体格と才能、そして家族の支えがあったものの、暴力事件により22歳という若さで角界を去ることになりました。
彼の両親や兄弟についての情報は限られていますが、父親がモンゴルで国民的英雄であること、母親が元外科医であることなど、興味深い背景が見えてきます。
北青鵬は、将来を期待されながらも暴力事件によってその道を閉ざされ、新たな道を歩み始めたことに注目が集まっています。
「大関貴景勝が10勝4敗同士の一番を制し優勝決定戦で熱海富士と激突 北青鵬&高安は敗れてV争い離脱/秋場所」
引用元: sanspo.com